こんにちは。
インドからのタイ駐在を経て、
日本に本帰国したほっこりです。
日本に戻って大掃除しております!
その話はまた後ほどで…!!
ブログでは、タイムラグがあるため、
本帰国直前のことをしばらく
綴らせてもらいます。
アユタヤ遺跡を見学した後で、
日本人村に行きました。
日本人村
【住所】Ko Rian, Phra Nakhon
Si Ayutthaya District,
Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000
【営業】9:30〜18:00(土日8:30〜18:00)
【電話】035 259 867
【地図】google map
入場料
大人50バーツ
子ども(7歳〜15歳)20バーツ
7歳未満無料
久しぶりに見る鯉のぼりと記念撮影!
その昔、このあたりには日本人が移り住み、
村を作って暮らしていたそう。
あまり知らないままに来た私、
「その昔」が江戸時代近辺と聞いて
心底驚く。徳川家康の時代だと!!
「朱印船貿易」として日本人が渡り、
最盛期には2〜3000人の日本人がここに
暮らしていたそう。
山田長政さんが当時の王から
官位をもらうほど
重用されていたそう。
日本では足軽だった彼が、
出世してそこまで
昇り詰めたということだ。
手腕はすごかったのだろうけど、
そんなふうに王様に認められるのは
彼自身も驚きであったとか。
まさに日本!な昔風の朱塗りの橋と、
向こうにいる現代の
タイの船のコントラストよ。
枯山水の庭とこんな所で出会おうとは。
博物館に入ります。
これを見て「あっ!オセロだ!」と言う
長男ハッチ(10)大丈夫か…。
剣や鎧もあった。
この博物館で色々な映像や説明を見て、
日本とタイの交流がこんな昔からあった
ことに感慨を深くしました。
この黄色いフォイトーンというお菓子も、
そもそもはポルトガルのお菓子だったものを
タイ風にアレンジしたもので、
そのアレンジには日本ゆかりの女性が
関与していたんだとか。
九州に今もある「鶏卵素麺」とそっくり!
食べ物で繋がるって、一番強い繋がりよね。
山田長政さんの像。
当時の航路を地図に描いたもの。
木でできた船でこんな遠くまで…
インドどころかヨーロッパまで遠征
していたのね。すごい勇気。
言語の問題はどうやって解決してたのか?
日本史だと海外に出た人ってあまり
強くスポットを当てない印象があるけど、
こんな遠くまで出た日本人たちがいるんだと
思うと、本当に胸熱…!
このアユタヤ王朝最盛期にも、
日本やポルトガル、ロシアなど
様々な国の人々が、それぞれに「村」を
作りつつ、母国のことを懐かしく思い、
アユタヤの文化を見つめ、
時には取り入れ…
って暮らしていたんだろうな。
そこでハッと気づく私。
これって元祖、駐在やん!
うん、当時の人々の思いがちょっと
想像できたよ!!私!!!
そう思うと、本当に
目頭が熱くなりました。
まさかこんな昔の人々へ、
共感と賛辞を心から贈ることに
なろうとは…
歴史を「実感する」って
こう言うことなのかもしれない。
実感と言えば、
タイと日本、賢く長く務めていた
父に代わり、新しい王が誕生したのも
ほぼ同時期でした。
この博物館の年表にもいちはやく、
ちゃんと反映されていました!
このことにもジーンとした…
駐在最後の最後に、ああ、タイって
こんなに日本と関係が深かったのだな。
と感じられたことは、
私にとって意味のあるものでした。
行ってよかったです!
私については
コメント
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ほぼ同じタイミングで本帰国ですね♪
長い駐在生活お疲れ様でした
私は年老いた親戚に会いに行きたいので今除菌生活
インド生活のために大量に持っていたマスクがこんなに役に立つとはっていう感じです
ほっこりさんも移動でお疲れだと思います
免疫力下げないよう乗り越えましょうね!
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おおー、
前に見てたブッペーサンニワート(アユタヤのドラマ)で
フランス人の役人と結婚した日本人ハーフの女性が、フォイトーンを作る場面があった!(情報量多い)
アユタヤ何度も行ってるのに日本人村は行ったことなかったな。次の機会にぜひ行きたい。
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>ちくわぶさん
私もインド生活の時に使っていたマスクや除菌シートが現在も大活躍しています!
バンコクスライドの時に「もう要らない」と思ったのに、人生何が起こるかわからないですよねー。
お互い日本満喫しつつ体調管理に勤しみましょう!!
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>mickey1979さん
そうそう、西洋の人と結婚した日本ゆかりの女性が編み出した製法らしい。
そのドラマを見た貴女なら、日本人村も満喫間違いないです!