ツイッターで、「日本人の集団が苦手」
というツイートを、よく見かける。
バンコクに住む日本人のツイートである。
海外旅行していて
日本人の集団と出会うのが
嫌だなぁと思う、という話も
昔からよく聞く。
ヨーロッパなどで日本人旅行者と
出会っても、目を合わさない。
とかね。
同じ心理が根底にあるのかもしれない。
最初私はそのツイートを読んだとき、
私は日本人だというのはもう
変えがたい事実で、
それを理由に否定されてしまうなら
もうその人と友達になる道はほぼ
絶たれているのかな、と思い、
少し悲しくなった。
そんな深い意味でのツイートではないと
わかっている。
そもそもツイートなんて「つぶやき」で、
「意見」なんて堅苦しいものではない。
それでも、少し悲しくなった。
それでハッと思い出したことがあった。
我が家の長男ハッチ(9)が
小学1年生のとき、
まだニューデリーにいた頃。
同じ日本人学校のスクールバスに、
タイ人と日本人のハーフの男子が
同乗していたのだが、
彼が日本人の女子と
とても仲良くしていたのを見て、
ハッチがこう言った。
「タイ人なのに日本人と
仲良くするなんて
変なの!」
たまたま同乗していた女子のママが
教えてくれて、私も知ることができた。
(ニューデリー日本人学校では
係の親の同乗という制度がある)
多分、
仲良しだったそのハーフの男の子が、
自分ではなく
その女の子ばかりと喋っているのに
ヤキモチを焼いたんだと思う。
だが、彼は言い間違えたとかではなく
本当に
「日本人と日本人が仲良くすべきで
タイ人とはそうではない」と
心から思っていたみたいなのだ。
衝撃である。
その男の子は前は日本に住んでいて、
駐在としてインドにいるだけで、
立場的にはハッチとなんら変わらず、
みんなのいるところでは日本語を話し、
日本教育を一緒に受けているので
まさかハッチが彼のことを
「タイ人」だと思っているとは…!
というのも衝撃であった。
この、よく物事が分かっていない息子に
何て言ってこれが良くない言い方であると
説明したものか…
悩んだ末、私は彼に言った。
「ハッチは『ちょっと、そこの日本人』
て呼ばれたら嬉しい?」
「誰かのことを個人名ではなくて
国の名前で呼んだら、それだけで
とても嫌な悪口みたいになるものなの」
「だから、何かその人に
言いたいことがあったら、国の名前で
呼ばないで、その人の名前で呼ぼうね」
よく考えたら、もっと根幹の
「違う国の人とも同様に仲良くすべき」
みたいな話もしたらよかったのだが、
その辺の記憶はもはや曖昧である。
「海外に住んでいると、
子どもが自然にグローバルになる」
というのは間違いで、
本当は色々な補助線が必要になる。
ひとつ間違うとこんな風に
逆の感覚が育ってしまう場合もある。
私、相当「インド人めー!」みたいな
言い方をしていたなと思う。
子どもは親の姿を見ていたんだろう。
だから、この言葉は私が子どもに言った
言葉なのだけど、
まるで私が私に言い聞かせたみたいに
くっきり覚えている。
インド人という個人はいない。
「人間」という個人がいないのと同じ。
もちろん「◯◯人」という言葉は
とっても便利だから使うんだけど、
その人自身に聞こえ
るようには
るようには
言わない方が本当はいいのだと、
私はこの件で改めて知った。
そして、その便利な言葉を使った瞬間、
「個人」が見えなくなることを
忘れないようにしようと思う。
振り返って…
日本人のことを
「日本人」ってまとめて言ってしまったら
その人それぞれの人生や喜びや苦しみ、
みたいなものはフッと見えなくなり
なんか気楽でうるさい集団、
みたいになっちゃうのかな。
同じ日本人という共通項が
親しみと共感とともに
お互い自然に感じられるように
なるためには、何が必要なのか…
ゆっくり考えていきたいと思う。
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コメント
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多分ちょっとした出来事が心の傷であったり、
しこりななったりしたり、不快だったり、
きっとそんなことから、なんでしょうね。
たまたま日本人が大嫌いなレバノン人女性がいて、
彼女も何故かというと、
日本人一個人と衝突したことがあって、
それかららしい。
私のことをタイ人と間違えてて、
話してくれたのでした。苦笑
私もですが、ちょっとした出来事から、
とある国が嫌いになり、何故か?目を背けてしまう今日このごろです。
あれだけ好きだったのに、、、なんだかその変わりようにビックリな。
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たまにはこっちにもコメントしてみます(^^)v
分かります、すごく!国同士の感情が個人にも影響しますよね。相手からそう思われていることもあって、どう対応すべきか悩ましいところもあります。
でも、日本にいたら経験することのない摩擦も、勉強だと思えば、親子で考えて議論するのも良いと思います!
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こんにちは!
実は私「日本人の団体避ける」という人の気持ち分かる気がします・・
一度タイにいた時に国内便でプーケットかどこかに行く時だと思うのですが、搭乗方面で私の少し前にスタイルの良い服装の整ったブロンドの女性が歩いてました。
その時に反対側から日本から到着した男性集団が歩いて来て、その女性に向かって「ピューピュー」「・・・・」・・・の言葉は「ねえちゃん」だったか何か忘れましたが、すごく失礼な言葉で、聞いてる私も嫌な気持ちになったし、多分彼女も日本語が分からなくても嫌な気持ちになったのでは・・と思います。
多分こういう事から先の方も「団体嫌!」になったのでは・・(悲)
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以前インド駐在について相談させて頂いたことあります!
今は違う国です。
どこにいても
アメリカの方,インドの方々,というように発言をゆっくりする癖ついてしまいました。
人を傷つけるのは人なので時々難しいけど
外国で育つ経験って怖がらず立ち止まりながら豊かになれるチャンスだといます。
おばさんも日々勉強です!
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バックパッカーをしていた時に、そういう人たちによく会いました。個人旅行者なので団体旅行者に対する考えが色々とあるのでしょうが、どちらが素晴らしい旅行者か、といえば、正解は存在しないと私は思います
もちろんですが、文化や様々な要因により、お国柄をハッキリ感じる場合も多々あります
インド旅中はインド人がそれをよく話してました、日本人は好き、韓国人は怖い、中国人とイスラエル人は嫌い、などなど。それはお国柄同士の相性かもしれないですね。
でも、どの国の人でも、悪い人は悪いし、優しい人は優しく、国籍は関係ないのは明確です。
それは、個人による事柄であるからです。
国を愛する気持ちも大事だから、国を差別する言葉が生まれるのかもしれず仕方ないけれど、人と接する時は、同じ地球人てことで、親しくなれる道を探りたいですね
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>miiさん
なにかを嫌いになるって、結構自分がしんどいですよね。
私はとあることからシスターというものがあまり好きではないのですが、それもいろんな人がいて、その中で一個人が苦手なだけなんですが、属性そのものに抵抗感出てしまっています。
嫌いと思うのも自分の気持ちで、
でもいつかは手放したいなと思ったり。
そのレバノン女性みたいに、いつか…思いを手放せたらいいなと思います!
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>バンコクから帰国した九州人さん
こちらへのコメントも嬉しいです!
ありがとうございます!
いろんな摩擦も含めて、体験しないよりはした方がいい、という方向で持っていきたいところですよね。
子育て、いろんな驚きの連続ですー!
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>HIROMI☆インドさん
おお、それは同じ国の人として、恥ずかしい…!!
個人だとすごく静かにしているけど、団体になると気が強くなってしまうパターンですかね…
特に男性が女性に失礼な態度取るのは、国とか以前にドン引きですよね!
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>陶子さん
コメントありがとうございます!
私も「~の人」と「の」つけるだけでかなり雰囲気変わるなと思ってました!!
ちょっとしたことなんですがねー。
おばさんも日々勉強、その通りです。
いつまでも伸びしろを信じて邁進したいです!(笑)
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>あきさん
国同士の感情というのは、ともすれば政治やマスコミという他者に思わされている部分も多くありますよね。
個人として出会って尊敬できて、その結果その国が好きになる、みたいなことを繰り返していくことが、地道ながらも誤解や偏見を排除する道なのかなーなんて思います。
お互い地球人って思えるとベストですよね!!